インディアンの考え方・狩猟を通して「生きる目的」を学ぶ


遠くを見つめるアメリカワシミミズク
こんにちは、ふるたけです! 

この度は、私のブログ
シロクマ健康法に来てくれて
ありがとうございます!

今回は、動物の命をいただき、
その恵みに感謝して
食事を頂く
インディアンの
「狩猟について」の考え方を
書いていきたいと思います。


目次
1 インディアンの考え方を「狩猟」を通して学ぶ
2 狩猟を通して命を頂く(食べる)「生きる目的を学ぶ」


1 インディアンの考え方を「狩猟」を通して学ぶ
ウサギを狙うトビ

まずは、狩猟は「サバイバル」
(生きていくこと)の
一部であると思います。

私はインディアンの
哲学を学んでいますが、
狩猟を私はいずれ
挑戦してみたいと思っています。

しかし、狩猟については、
気軽に、趣味でやるとか、
動物を撃ってみたい、
鉄砲を撃ってみたい。
そういう風な安易な考えではやろうと思いません。

動物を深く知り、命の重み
自然環境を学ぶために
いずれやらなければならないと
思っています。 
(もし、やる必要がなかったら
やらないと思います。

なるべく無駄な殺生は
したくないからです。

狩猟を始めるなら、
インディアンや
アイヌ、マタギの考え方を学んで
理解してから
始めたほうがいいと思います。 

インディアンの狩猟は
触れるか触れないかの
近距離で「槍」「弓矢」などの道具を用いて
狩りをすることを信条としています。

昔の弓矢、槍などの道具を用いて
狩猟を行う場合は
近距離で命を奪う必要があります。

近距離まで、動物に近ずくためには
自然を深く学び、
動物を本当に知り
敬意を払わないと絶対にできません

そして
それほど、深く知り
敬意を持った生き物の命を頂き
生きていくために、食料とする

それがインディアンや
古代に生きた先人の「狩猟」でした。

私は狩猟を始めるなら
とても難しいとは思いますが、
インディアンと同じようなやり方で
最初は始めます。

それでもし、成功できないなら
狩猟をする技術、資格、権利を
もっていないことになるからです。

それなら、無駄な殺生もなくなります。

現代社会では、
鉄砲の免許を取れば、
すごく離れた距離から
動物を狩ることができます。

その距離感が、命を奪うという
神聖な行為をゲーム化して、
「命をいただく」ありがたみを
崩してしまっているように思います。

本来、
命をいただく狩猟というものは、
そういうものではないと感じます。

ゲームではなく、生きるために
食料を得るために、仕方なくやる行為です。

・狩猟による距離感と感情の関係

戦争の心理学という本では、
命を奪うときの距離感によって
その行為に対する感情が
変化すると、書かれています。

距離が近づくごとに事の重大性を理解
逆に、距離が離れるごとに
現実感がなくなり、抵抗がなくなる
という事でした。

それは、鉄砲にも言えることだと思います。

過去に、狩猟で生計を立てていた、
マタギは、鉄砲を使用していましたが、
自分の生活を支えてくれる
自然と動物、
命に対して敬意を払い生きていました。

現在の、狩猟が、ブームとなっている状況や
狩猟に関係したブログを見ると
生き物に対しての
敬意が薄く感じられる
ものも見られます。

狩猟の担い手不足を補うことは必要ですが
ブームのように、流行にして
狩猟者人口を増やすなどそういった
人の増やし方、軽い考え方は少し、違うんじゃないかな?
と思います。

また、ブログや、ネット上で
命の尽きた動物と笑って写真を撮ったり
軽い語り口で語られる
ブログの文章を見ると、嫌な気分になります。
(真剣に命を扱っている方はすごく、大切な事をしていると思います。)

私は、狩猟に関しては
・食事(命)の重要性を再認識する事
・シカの増加に伴う自然環境の悪化
・生態系、自然のバランスの維持

などなど
いろいろなことを考えて
仕方のないことだと思います。

しかし、しっかりと生き物に
敬意を払って、狩猟を行い
動物の命を真剣に扱ってほしい
思います。

害獣とか害虫とか、
そういった言葉がありますが、
それは、人間にとっての言葉です。

自然の中で、暮らしている
野生動物、害獣と呼ばれる生き物は

すべて、厳しい自然の中で
必死に生きている

私たちと同じ「命ある生き物」だと思います。

最近は、鹿が増えすぎて、
生態系を壊し、
農作物への被害が増えている
という理由から、鹿の駆除が増えています。

その為に、シカを狩猟するのは
仕方ないことですが
そのシカは
しっかりと食料として頂き
すべての素材をしっかりと
道具に作り替えて生かすことが大切です。

しかし、どうして、
鹿が増えてしまうように
なったのでしょうか?

人里に、イノシシが下りてくる
危険だから駆除する。

また、人食いクマを駆除する
こちに対しても同様です

クマは、本来人を恐れていますが
一度、人を襲ったクマは
人を食べられるものと認識し
見境なく人を襲うようになります。

なので、そうなった
クマの命を奪わなければならない。

しかし、その原因をなぜでしょうか。

どうして、普段人を襲わないクマが、
人を襲ったのでしょう。

その原因、場所、理由

自然に住むクマが、
なぜ近年里に頻繁に姿を現すのか?

増えたから、すぐに駆除する事よりも
先に、もっと考えなければならない事
やらなければならない
大切なことがあると思います


2 狩猟を通して命を頂く(食べる)「生きる目的」を学ぶ
生肉

動物の命をいただくという行為は
本当に真剣に考えなければ
ならないことです。

そして
生きていくために、仕方なくやる行為であり、
食べるという事は生きる目的の一つでもあります。

現在の社会では、
命の重みが、薄れてきています。

食べ物、物を粗末にする人が増え、
肉、魚がどのようにスーパーに並ぶのか
知らない子供達など

そして、異常な犯罪事件も
昔と比べて増えています。

これは、技術の発展が招いた
結果であるとも言えます。

昔は、どの家庭でも
冷蔵庫がなく、食料を保存できないので
肉を食べるために、狩猟や

生き物を解体するという
命を奪うという
嫌な行為が身近にありました。

しかし現在は、冷蔵庫という、
便利なものできたので
肉などを保存して、運び、流通できます。

なので、今の時代は、
自分ではない「誰か他の人」に
動物の命を頂き、解体して、
命を加工するといいう
「とても重要な」「嫌な役割」
誰かにしてもらうことができます。

命の重要性を学ぶ意味では、
現代でも、一度は
狩猟を自分でおこない

命を頂き、解体し、食べる
という一連の行為を行うことで
「命の重みを学ぶ」
行為も必要かもしれません。

自分で生きている動物の命を奪う
嫌な体験、手間を体験すれば、
本当に食べ物のありがたみが分かり

感謝して食べられるように
なると思います。
それか、食べなくなるか。

それくらい、食に対しては、
真剣に向き合わなければ
ならないことだと思うのです。


一番いいのは、
自分の手で「生き物の命」を
奪わなくても、
食べ物に感謝の気持ちを持つことです。

そして「尊い命」をいただき
現代の私たちが当たり前のように
生きていけるということは、
とても幸せなことだと気づくことです。

私は、「命と真剣に向き合い」
食事を食べられるという
当たり前なことに感謝できる人
増えていけばいいなと思っています。

そのために
インディアンの哲学や
アイヌ、マタギの文化を学ぶ人が増え
狩猟に対しても、真剣に向き合う人が
増えていけば嬉しいです。

インディアンの哲学を学んで変わった「食」に対する考え方はこちらを読んでください。

ネイティブアメリカンの哲学についてはこちらでまとめています。興味を持っていただけたなら、こちらを読んでください。


アメリカクロクマ
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。

あなたに、読んでもらえて、
少しでも何か、感じてもらえたら
うれしいです。

「シロクマ健康法」の記事を書いている「ふるたけ」の自己紹介はこちらに書いてあります。もし興味を持っていただけたなら、読んでくれるとうれしいです。

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